中小企業のための戦略人事入門【第一回】

目次

経営計画と人事制度の断絶を埋める

「中期経営計画を策定し、3年後・5年後のあるべき姿を描いた」にもかかわらず、いざ走り出すと「人がついてこない」「組織が動かない」と感じる経営者は少なくありません。
中小企業庁の「2025年版中小企業白書」によれば、中小企業が現時点で最も重要と考える経営課題は 「人材確保」 です。さらに、採用コストが「増加した」と回答した事業者は約7割にのぼり、人と組織の問題はもはや人事部門だけの課題ではなく、経営の中心課題になっています。

それでも多くの中小企業では、経営計画と人事制度が別々の場所で運用されています。経営者は数値目標を描き、人事担当者は評価シートと給与テーブルを整える。両者は同じ会社の同じ未来を見ているはずなのに、議論のまな板の上で交わることはほとんどありません。

本記事では、なぜ中期経営計画と人事制度のあいだに断絶が生まれるのか、そしてその断絶を埋めるために経営者がまず何をすべきかを、中小企業診断士の視点を交えてお伝えします。
本記事は3回シリーズの第1回として、全体像と経営者の出発点を扱います。

なぜ中期経営計画は「人事」で頓挫するのか

中期経営計画の未達は「実行力」ではなく「翻訳力」の問題

「中期経営計画はきちんと作ったが、結局はやり切れずに終わった」。
多くの中小企業で繰り返されるこの結末を、私たちはしばしば「実行力の問題」と片付けがちです。社員の意識が低い、管理職が動かない、現場が変化を嫌がる、というように。

しかし問題の根は、もう一段深いところにあります。それは、経営計画が描く未来を 「人と組織にとっての意味」に翻訳できていない という、翻訳力の不足です。

たとえば「3年後に売上を1.5倍にする」という計画があるとします。この目標が経営者の頭の中にあるだけでは、社員には何も伝わりません。それを社員一人ひとりの仕事の言葉に翻訳するには、「3年後にどんな人材が、何人、どこに必要か」「今のメンバーは、どの役割にシフトするのか」「新しい役割に求められる行動とは何か」といった問いに、具体的に答えていく必要があります。

この翻訳作業を担うのが、本来は人事制度です。等級制度は「役割の地図」、評価制度は「期待行動の見える化」、報酬制度は「役割と成果に対する対価の約束」として、経営計画を社員の働き方に変換する役割を担っています。ところが、その人事制度が経営計画と切り離されたまま運用されているために、計画は「数字の意思表明」で終わってしまうのです。

「人事不在の経営計画」が引き起こす3つの症状

経営計画と人事が分断されたまま走り出すと、典型的に次の3つの症状が現れます。

症状1:戦略は変わったのに、評価項目だけが昔のまま

新しい事業領域への進出を計画に掲げているのに、評価シートは数年前と同じ営業数値中心。社員はメッセージとして「結局は今までと同じことをやればいい」と受け取り、新領域への挑戦が進みません。

症状2:人材要件が言語化されないまま、採用だけが先行する

「DXを推進する」「海外展開を視野に入れる」といった方針は出ているものの、必要な人材像が定義されていない。結果として目の前の欠員補充ばかりが進み、3年後に必要な人材ポートフォリオが整わないまま時間が過ぎていきます。

症状3:管理職が経営計画を「自分の言葉」で語れない

管理職向けの説明会で経営計画は配られるものの、各部門のマネジャーがそれを部下に対して「だから、あなたにはこう変わってほしい」と伝えられない。経営計画は資料の中だけに存在し、現場の会話には登場しないままになります。

これらの症状に思い当たる節がある場合、必要なのは新しい計画の追加策定ではなく、計画と人事の「つなぎ直し」です。

戦略と人事のあいだに横たわる「3つの断絶」

経営計画と人事制度のあいだには、構造的に3つの断絶が存在します。これらを直視せずに表面的な施策を重ねても、断絶は埋まりません。

断絶時間軸の断絶 ― 3年計画と単年運用の溝

経営計画は通常3年、長ければ5年の中期的なスパンで描かれます。一方、人事制度の“運用”は単年で回していくことが基本です。評価は年1回から多くても中間を含め2回、賞与は半期ごと、昇給は年に一度といったサイクルです。

この時間軸のズレが、断絶の一つ目の課題です。3年後に必要な人材を育てるには、本来は逆算して2年前から教育投資を始める必要があります。しかし単年の評価サイクルの中では、「今期の数字をどう達成するか」が優先され、中長期の育成投資は後回しになりがちです。

中小企業診断士としての視点から言えば、ここで必要なのは 「経営計画の各年度を、人事の単年運用に翻訳する仕組み」 です。
たとえば、3年計画の中で「2年目末までに次世代マネジャー候補を3名育成する」と決めたなら、1年目の評価項目に「マネジャー候補者の選抜と育成計画の策定」を明確に組み込む必要があります。

断絶言語の断絶経営の言葉と人事の言葉

経営計画は、売上、利益率、市場シェア、ROIといった経営の言語で書かれています。一方、人事制度は等級、コンピテンシー、評価項目、給与テーブルといった人事の言語で運用されています。

両者の言葉は、そのままでは交わりません。多言語間で通訳するように、「営業利益率を5%改善する」という経営目標は、人事の言葉では「営業部門の中堅層に提案型営業のスキルを身につけさせ、価格交渉力を引き上げる」といった人材要件に翻訳されて初めて、評価項目や教育プログラムに反映できます。

この翻訳を誰がやるのか、というのが中小企業の悩みです。大企業であれば人事企画部門が担いますが、中小企業では人事担当者が制度運用で手一杯であることが多く、経営の言葉を人事に翻訳する役割が空席になりがちです。だからこそ、経営者自身がこの翻訳に関与する必要があります。

断絶責任の断絶社長の戦略と人事部門の制度運営

中小企業で最も深刻なのが、この責任の断絶です。「経営戦略は社長が考えるもの」「人事制度は人事部門が回すもの」という暗黙の役割分担が、戦略と人事を切り離します。

しかし、戦略を実行するのは社員であり、社員を動かすのは制度です。社長が描いた戦略と、人事部門が運営する制度が別々に走るかぎり、戦略は実行されません。

責任の断絶を埋めるには、人事制度の根幹(等級制度の思想、評価の重み付け、報酬の方針)について、経営者自身が意思決定者であるという認識を持つことが第一歩です。制度の細部は人事担当者が設計するとしても、「自社にとって何を評価し、何に報いるのか」という価値判断は、経営マターです。

戦略を人と組織の力に変える「連動フレーム」

ここまでで見てきた3つの断絶を埋めるには、戦略から制度までを一気通貫で設計する視点が必要です。私が中小企業の制度設計を支援する際に用いているのが、「戦略組織 → 人材 → 制度」の4階層モデル です。

「戦略組織人材制度」の4階層モデル

このモデルは、経営計画を人事制度に翻訳する段階を4つに区分して表しています。

STEP
第1階層:戦略

中期経営計画で掲げる事業戦略・成長戦略のことです。
3年後、5年後にどのような市場で、自社はどのような価値を提供しているかを定義します。

STEP
第2階層:組織

戦略を実現するためにどのような組織構造が必要かを考えます。
事業部の数、機能ごとの責任範囲、意思決定の階層をどう設計するかを描き、組織を設計します。

STEP
第3階層:人材

その組織を動かすのに、どのような人材が、何人、どこに必要かを考えます。
スキル要件、経験要件、必要な人数を「人材ポートフォリオ」として可視化します。
スキルマップ等の作成を実行することで、“As Is – To Be”の間にあるギャップがハッキリと見えてきます。

STEP
第4階層:制度

その人材ポートフォリオを実現するために、等級制度、評価制度、報酬制度を設計します。
育成・配置・登用の仕組みも含めて、人事制度全体を構築します。
頑張った人材が報いられる制度を設計することが、中長期的な経営計画の達成に繋がっていきます。

重要なのは、この4階層が 上から下に順に流れる ということです。制度から議論を始めるのではなく、戦略から逆算する。これが連動フレームの基本です。

中小企業診断士の視点経営計画を「人材ポートフォリオ」に翻訳する

第3階層の「人材ポートフォリオ」は、中小企業診断士が経営計画の支援の場で人材戦略として重視する考え方で、自社が必要とする人材を 「役割 × 人数 × スキルレベル」のマトリクス で整理したものです。

たとえば、3年後に売上を1.5倍にするなら?という問いに対し、「営業部門のリーダー層は何人必要か」、「技術部門の中核人材は何人確保するか」、「間接部門はどの程度の規模が適正か」といった問いに具体的な数字で答えていきます。

このポートフォリオが描けて初めて、「採用すべき人数」、「育成すべき人材像」、「配置転換が必要なポジション」が見えてきます。逆に、ポートフォリオが描けていない状態で採用や育成を進めても、行き当たりばったりの人事になりがちです。

大企業との根本的な違い中小企業ならではの設計原則

このフレームを使う際に、中小企業が大企業と違う前提が3つあります。

第一に、人材プールが限られます
社内に十分な候補者がいない以上、「採用」「育成」「外部人材の活用」の組み合わせを現実的に組み立てる必要があります。すべてを社内育成でまかなおうとすると時間が足りず、また、すべてを補強するために新たな人材を採用して確保しようとすうと資金がもちません。

第二に、財務余力が限られます
賃上げ、教育投資、新規採用にかけられる原資は有限です。経営計画の数値見通しと連動させて、人事投資の優先順位を決める必要があります。毎月の給与に係る部分だけではなく、賞与、退職金、福利厚生など人材周りで発生する費用との均衡を意識する必要があります。

第三に、社長依存の体質をどう脱却するか が論点になります。
中小企業では、経営者個人の判断と人脈が組織を動かしていることが少なくありません。3年後・5年後を見据えるなら、属人的な運営から仕組みへの移行を、人事制度の中に組み込んでいく必要があります。経営者の視点として、次世代だけではなく次々世代についての育成も視野にいれておく必要があります。

中小企業の経営者が陥りやすい「3つの誤解」

連動フレームの考え方を共有したうえで、中小企業の経営者が陥りやすい誤解についても触れておきます。

誤解「人事制度は人事部が考えるもの」

人事制度の細部は専門知識を必要としますが、「自社にとって何を評価し、何に報いるか」という根幹の意思決定は、経営マターです。いくら人事部門が優秀であったとしても、経営の考える視点と従業員の視点は異なります。すべてを人事部任せにすると、現場の運用都合に引きずられて、戦略との連動が失われていきます

経営者は、制度設計の打ち合わせに毎回出席する必要はありません。しかし、「等級制度の基本思想」「評価項目の優先順位」「報酬テーブルの方針」 の3つについては、経営者が明確な方針を出すべきです。

誤解「制度を変えれば人は動く」

「新しい評価制度を導入すれば、社員は新しい行動を取るようになる。」というのは半分正しく、半分間違っています。
制度は確かに行動を方向づけますが、制度だけで人が動くことはありません。

経営者と管理職が、その制度を通じて「何を期待しているのか」を語り続けて初めて、制度は機能します。制度設計と同時に、運用とコミュニケーションの計画も組み立てる必要があります。
また、制度導入時に管理職研修だけではなく、社員全体への研修(被評価者研修など)を実施することで、よりスムーズに制度を浸透させ、一人ひとりの行動変容を促すことができます。

誤解「大企業の制度を縮小コピーすればよい」

大企業のジョブ型制度や複雑な評価制度をそのまま導入しようとして、運用が回らずに頓挫するケースは少なくありません。中小企業に必要なのは、複雑な制度ではなく、自社の戦略と規模に合った「シンプルで運用可能な制度」 です。

制度の複雑さと有効性は比例しません。むしろ、評価項目を絞り込み、等級階層を簡素化することで、運用負担を軽くしつつ戦略との連動を高めることができます。また、制度は一度設計したら終わりということではないため、まずはミニマムスタートとして始める事も何も問題はありません。

経営者が次の一手として取り組むべきこと

ここまで全体像をお伝えしてきました。第2回・第3回で具体的な設計手法に入る前に、本記事の締めくくりとして、経営者が今すぐ取り組めるアクションを3つ提示します。

ステップ1:中期経営計画を「人と組織の言葉」で読み直す

手元の中期経営計画を、もう一度開いてみてください。そして、「3年後に必要な人材像」「組織構造の変化」「育成すべき能力」が、計画の中にどれだけ具体的に書かれているかを確認してみてください。

多くの場合、数値目標や事業戦略は詳細に書かれているのに、人と組織についての記述は数行で終わっています。この「人と組織の余白」こそが、本記事で論じてきた断絶の出発点です。

ステップ23年後の組織図を描いてみる

次に、3年後の自社の組織図を描いてみてください。今と同じ部門構成でよいのか。新しい機能を担う部署が必要か。各ポジションには、誰が就いているのか。

この組織図を描く作業が、人材ポートフォリオの第一歩です。ここで「誰を入れるか書けないポジション」が出てきたら、それが採用または育成のターゲットになります。

ステップ3:自社の「3つの断絶」を診断する

最後に、本記事で示した3つの断絶 ― 時間軸の断絶、言語の断絶、責任の断絶 ― が、自社にどの程度存在するかを点検してみてください。

すべての断絶がゼロの会社は存在しません。重要なのは、自社で最も深い断絶がどこにあるかを特定することです。そこが、人事戦略の連動を始める入口になります。

地道な確認と対策が成功への近道

中期経営計画は、それを描いた瞬間に価値が確定するものではありません。実際に人と組織が動き、戦略が実行されて初めて価値が生まれます。そして、人と組織を動かす最も強力な仕組みが、人事制度です。
経営計画と人事制度の断絶を埋めることは、すぐに成果が見える派手な施策ではありません。しかし、この地味な「つなぎ直し」こそが、中期経営計画を絵に描いた餅にしないための核心です。

次回(第2回)では、本記事で示した連動フレームを、具体的に 「要員計画」と「等級・評価制度」 に落とし込む方法をお伝えします。経営計画の数値目標から、必要な人材数とスキル要件を逆算し、評価項目に翻訳するまでの一連の流れを、中小企業の実情に即して解説する予定です。

人事制度の見直しや戦略との連動について、自社の現状を整理したい、外部の視点からの診断を受けたいといったご相談がありましたら、Wisteria Gateまでお気軽にお問い合わせください。

*無料相談は毎月社数を限定させていただいております

著者

Wisteria Gate 代表
経済産業大臣登録 中小企業診断士
独立行政法人 中小企業基盤整備機構 中小企業アドバイザー(経営支援)

人と組織の活性化で明るい未来を創造する人事支援の専門化。人材開発・組織開発・評価制度および賃金制度、採用ブランディング、人材育成など人事全般に関する強みを保有。数百名規模の事業会社における戦略人事・PMI・人事責任者等を経て獲得したノウハウと、製造業・商社・サービス業など幅広い分野で培った経験に裏打ちされた“現場がわかるコンサルタント”として中小企業の人事課題の解決に取り組んでいる。

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