全ての企業が義務化の対象となる
「お客様からの理不尽なクレームに、現場の従業員が疲弊している」
「悪質な要求にどこまで応じるべきか、店長判断にゆだねざるを得ない」
小売業やサービス業を営まれる経営者・人事担当者の方であれば、こうしたお悩みを一度はお聞きになったことがあるのではないでしょうか。
2025年6月に成立した改正労働施策総合推進法により、2026年10月1日からカスタマーハラスメント防止のための雇用管理上の措置を講じることが、すべての企業に義務付けられます。中小企業も例外なく対象です。とりわけ顧客との接点が多い小売業・サービス業では、対応の優先度がきわめて高い経営課題となります。
本記事では、①2026年10月施行の法改正の要点、②小売・サービス業におけるカスハラの実態(公的データ)、③中小企業が取り組むべき5つの実務ステップ、④小売業・サービス業それぞれの業種特有の留意点、⑤厚生労働省マニュアル・自治体条例の活用、という5つの軸で解説します。義務化までに自社で何を整えるべきか、逆算して取り組む際の指針としてご活用ください。
2026年10月施行 改正労働施策総合推進法の概要
カスハラ防止措置の義務化(施行日と対象企業)
2025年6月に改正労働施策総合推進法等が成立し、2026年10月1日からカスタマーハラスメント防止のための雇用管理上の措置義務が施行されます。対象は従業員を雇用するすべての事業主であり、中小企業・個人事業主も含まれます。パワーハラスメント防止措置(中小企業は2022年4月から義務化)と同じく、企業規模を問わず適用される点が大きな特徴です。
施行日まで残された時間は限られています。
義務化開始時点で社内体制が整っていない場合、行政指導や是正勧告の対象となるおそれがあります。
早期着手をご検討ください。
法律上のカスハラの定義
改正法において、カスタマーハラスメントとは、職場において行われる、顧客・取引相手・施設利用者などその事業に関係を有する者の言動であって、業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたものにより、労働者の就業環境が害されるものと定義されています(厚生労働省)。
ポイントは「社会通念上許容される範囲を超えた」言動であるという点です。正当な指摘や苦情と、悪質な迷惑行為とを区別する判断基準が、各企業に求められることになります。
企業に課される措置義務の主要項目
厚生労働省が公表している指針案によれば、企業に求められる措置は概ね次のとおりです。
- 事業主の方針等の明確化と従業員への周知・啓発
- 相談に応じ、適切に対応するための必要な体制の整備
- 顧客等からのカスタマーハラスメントが発生した場合の迅速かつ適切な対応
- 併せて講ずべき措置(プライバシー保護、不利益取扱いの禁止 等)
これらは、現行のパワハラ防止措置の枠組みを踏襲した構造です。すでにパワハラ対応で社内規程・相談窓口を整備している企業であれば、その仕組みをカスハラ対応にも応用しやすい点を押さえておきましょう。
小売・サービス業におけるカスハラの実態
業種別被害ランキング:小売・サービスは上位3位以内
厚生労働省「令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査」によれば、過去3年間で労働者が顧客等からの著しい迷惑行為(カスハラ)を一度以上経験した割合は、業種別に次のとおりです。
- 生活関連サービス業、娯楽業:16.6%
- 卸売業、小売業:16.0%
- 宿泊業、飲食サービス業:16.0%
小売業・サービス業は、業種別ランキングのいずれも上位3位以内に入っています。
顧客と直接対面する機会が多い業種ほど、被害が顕在化しやすい構造的な事情がうかがえます。
過去3年で企業の相談件数が大幅増加
同じく厚労省調査では、過去3年間に労働者から顧客等からの迷惑行為について相談があったと回答した企業の割合は27.9%で、前回(令和2年度)の調査と比べて8.4ポイント増加しました。被害の顕在化が進み、企業として無視できないテーマとなっていることが明らかです。
スーパーマーケット業界の実態:カスハラ発展の主因
厚生労働省が令和6年に行った業種別実態調査(スーパーマーケット業界)では、カスハラに発展した主な原因として、次のような結果が報告されています。
- 顧客対応・サービス等の遅延:71.2%
- 対応者の説明・コミュニケーションの不足:63.6%
つまり、待ち時間や説明の不足といった、現場で起こりがちな小さなきっかけが、悪質な迷惑行為に発展しているということです。
逆に言えば、初期対応のあり方を整えるだけでも、深刻なカスハラ事案の発生確率を下げる余地が大きいといえるため、社員のマナー・接遇レベルやコミュニケーション能力を向上するための研修のオーダーが増加してきています。
中小企業がやるべきカスハラ対策の5ステップ
ここからは、厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」を踏まえ、義務化までに整備すべき実務ステップを5つに整理して、中小企業が現実的に取り組める順序について解説します。
ステップ1:経営トップによる方針表明
最初に行うべきは、経営トップによる「カスタマーハラスメントを許さない」という基本方針の明文化と表明です。
社内ポータル、朝礼、店舗掲示など、複数のチャネルで従業員に周知しましょう。
方針表明の目的は大きく2つあり、第一に、従業員に「自分たちは会社に守られている」という安心感を与えること。第二に、対外的に「不当な要求には応じない毅然たる組織である」というメッセージを発信することです。トップが沈黙していては、現場は動けません。
ステップ2:対応マニュアル・体制の整備
方針を実装するために、対応マニュアルとフローチャートを整備します。
具体的には、以下の項目を盛り込みます。
- カスハラに該当する言動の具体例(一覧化して誰でも分かるように)
- 初期対応の手順(傾聴→事実確認→説明→限界の伝達)
- エスカレーションの基準と連絡ルート(現場→店長→本部)
- 対応終了の判断基準(時間・要求内容・暴言の有無)
- 記録方法(対応日時・内容・対応者・顧客情報を残すフォーマット)
厚労省の業種別マニュアル(スーパーマーケット業編など)には、具体的な対応フロー例が掲載されています。自社マニュアルを作成する時の参考になりますのでぜひご覧ください。
ステップ3:従業員研修・周知
マニュアルを作っただけでは現場は動きません。全従業員を対象とした研修を実施し、判断基準と対応手順を共有することが不可欠です。特に、正規・非正規を問わず、店頭で顧客対応を行うすべての従業員を対象としてください。
シフト勤務のパート・アルバイトの方々こそ、カスハラの一次被害者になりやすい立場にあります。
短時間でも参加できる動画研修や、店舗ごとのロールプレイングなど、形式を工夫することで参加率を高めることができます。
ステップ4:相談体制の構築(社内+外部窓口)
従業員が安心して相談できる窓口を、社内と社外の両方に設けます。
社内窓口(人事部や総務部)は、現場の状況を把握しやすい一方で、「上司に知られたくない」という声を拾いにくい側面があります。
そこで、外部窓口(顧問弁護士、社会保険労務士、外部EAPサービスなど)を併設することで、相談のハードルを下げます。中小企業の場合、複数社で外部相談窓口を共有する仕組みも検討に値します。
ステップ5:発生時の対応プロセス(記録→エスカレーション→警察相談)
カスハラ発生時には、次のプロセスを徹底します。
- 記録:対応内容・時刻・発言を可能な限り正確に残す(録音・録画の社内ルールを整備)
- エスカレーション:現場で完結させず、店長・本部へ速やかに報告
- 対応終了の判断:要求が不当であれば、組織として「対応できかねる」旨を明確に伝える
- 警察・弁護士への相談:暴行・脅迫・威力業務妨害に該当する事案は、躊躇せず外部へ相談
特に重要なのは、現場担当者を孤立させないという原則です。
判断と責任を組織が引き受ける姿勢こそ、従業員の心理的安全性の土台となります。
ケースA 小売業ならではの3つの留意点
留意点① 多店舗運営における対応方針の統一
小売業の多くは、複数店舗・複数フォーマットで運営されています。各店舗の判断にゆだねたままでは、店舗ごとに対応のばらつきが生じ、組織としての方針が曖昧になるリスクがあります。
本部主導でマニュアル・対応基準を統一したうえで、店長に一定の判断権限を委譲する「権限と責任の階層構造」を明確にしましょう。エスカレーションルートが整備されていれば、現場店長も安心して対応にあたれます。
留意点② 返品・クレーム対応の境界線を明文化する
小売業では、「正当なクレーム」と「カスハラ」の線引きが日常的な課題となります。返品ルール・交換規程・対応時間の上限などを店頭やWebサイトで明示し、ルール外の要求には応じないという姿勢を一貫させることが、トラブルの未然防止につながります。
加えて、ルールを明示することは、現場担当者にとっての「断る根拠」にもなります。「申し訳ありませんが、当店の返品規定上お受けできかねます」と言える状態を整えるだけでも、対応負荷は大きく軽減されます。
留意点③ 非正規・パート従業員の保護と研修機会
小売業の現場は、パート・アルバイトの方々によって支えられています。シフト勤務でも研修を受けられる仕組み(動画研修、店舗内ミーティングへの組み込みなど)と、短時間勤務者でも利用しやすい相談窓口の設計が欠かせません。
雇用形態にかかわらず、すべての従業員が等しく守られる体制を整えることは、義務化後の最低基準であると同時に、人材定着の観点でも大きな意味を持ちます。
ケースB サービス業ならではの3つの留意点
留意点① 1対1・密室接客でのリスク管理
美容、フィットネス、宿泊、エステ、整体など、1対1・密室での接客を伴うサービス業では、第三者の目が届きにくく、被害が深刻化しやすい傾向があります。
具体的な対策として、施術中の音声記録(業務上の正当な目的による録音)に関する社内ルールの整備、複数スタッフ常駐シフトの導入、緊急時のスタッフ間連絡手段(無線・スマートフォンアプリ)の整備などが挙げられます。プライバシーへの配慮と、従業員保護のバランスを丁寧に設計することが求められます。
留意点② SNS・口コミによる二次被害への対応
サービス業はSNSや口コミサイトの影響を受けやすく、個別従業員の氏名や写真がインターネット上で晒されるという二次被害が発生するケースもあります。
対応としては、①従業員の氏名・写真の社外公開範囲をあらかじめルール化する、②SNS上の誹謗中傷を発見した際の通報窓口(顧問弁護士など)を明示する、③発信者情報開示請求や警察相談の判断基準を社内で共有しておく、といった準備が有効です。
発生してから慌てるのではなく、事前の手順整備が従業員の安心感を高めます。
留意点③ 出張・訪問型サービスの孤立対応
訪問清掃、出張理美容、訪問医療・介護、修理サービスなど、スタッフが単独で顧客先に出向く形態では、孤立した環境でカスハラに直面するリスクがあります。
対策の例としては、①位置情報共有アプリでの所在把握、②緊急時のワンタッチ通報の仕組み、③深夜・早朝・初回訪問時の二人体制、④訪問前の顧客情報・要注意先のデータベース共有、などが考えられます。
完全な単独訪問を前提とするのではなく、「いざというときに組織が即応できる体制」を意識した設計が重要です。
厚労省マニュアル・自治体条例を活用しましょう
厚生労働省の公開資料
厚生労働省は、「職場におけるハラスメントの防止のために」というページを解説し、企業のカスハラ対策を支援するための資料を多数公開しています。
とくに以下の2つは、自社マニュアル作成の出発点として活用しやすい資料です。
- カスタマーハラスメント対策企業マニュアル
- 業種別カスタマーハラスメント対策企業マニュアル(スーパーマーケット業編)
業種別マニュアルは、現場で起こりがちな具体的事例とともに、推奨される対応フローが整理されています。
中小企業にとっては、自社版マニュアルのたたき台として極めて有用です。
自治体条例の動向と確認事項
東京都は、全国に先駆けて「東京都カスタマーハラスメント防止条例」を2025年4月に施行しました。罰則を伴わない理念条例ですが、事業者・顧客双方の責務を明文化した点で意義があります。続いて北海道や群馬県、三重県、愛知県、千葉県、神奈川県などでも、条例制定の動きが広がっています。
自社の事業所が所在する自治体・営業活動を行う自治体について、現時点で条例があるか、今後制定予定かを必ず確認してください。条例によっては、企業に対する指針や手引きが別途公開されている場合もあります。
まとめ:義務化までの逆算スケジュールで備える
2026年10月の義務化開始までに、中小企業に残された時間は限られています。逆算で考えれば、次のスケジュール感が一つの目安となります。
- 施行半年前まで:方針表明とマニュアル骨子の整備、相談窓口の設置
- 施行3か月前まで:全従業員向け研修の実施、社内ポータル等での周知
- 施行直前:店舗・現場ごとのロールプレイング、顧客向け掲示物の準備
- 施行後:定期的な事例レビューとマニュアル改訂
カスハラ対策は、単に法令遵守のための取り組みにとどまりません。従業員を守る組織であるという姿勢の表明であり、人材確保が困難な小売・サービス業において、人材定着とブランド価値向上に直結する経営テーマです。
「お客様第一」という美徳は、従業員の犠牲のうえに成り立つものであってはなりません。改正法の施行をきっかけに、自社の対応体制を一段階引き上げる好機としてとらえていただければ幸いです。
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